• 無明 長夜

私という人間


はじめに


今回書く内容は、同情を誘うものだったり、創作か?とか、思われるものかも知れません。

当時の言葉を起用するので、現代では問題のある呼称もあるかと思います。


痛快娯楽なストーリーはありません、ただただどうしようもない人間の人生の一部のお話です。

なんだか、書くなら今だと思ったので、どうか気が向いたら最後までお付き合いください。



私がアーティストを名乗る前、無明長夜となるずっとずっと前の話です。



物心


私が物心がついたころには、両親や世間的には ”問題児” と呼ばれる存在でした。

共働きの両親だったので、保育園で私は過ごしていました。


当時。

思い出せる限りでも、私は傲慢で、大人を舐め腐り、何を言われても自分が今したいことを最優先する子供でした。

友達は多分沢山いました。


私の中では、その友達も子分のように見ていた気がします。

先生にはいつも連絡帳に色んな不満を書かれていたそうで、よく家に帰ってから叱られた気がします。



小学生


小学生にもなると、その問題性はさらに悪化し。

どう見ても自分より体格の2,3倍あるようなやんちゃな子にも果敢に立ち向かう怖いもの知らず。

男女問わず、気に食わなければ戦おうとする。

誰もが、こいつは何をするかわからない。という目で見ていたのだろうと思います。


そして相変わらず大人を舐め腐り、授業中もジッとしていられない。

大事な提出物も忘れる。机の中で押し花のようなプリントの束が毎学期作られて。

宿題なんて数えるほどしか出した記憶がありません。


今思えばジッとしていられないというか、極端な物忘れや集中力のなさは。

ADHDの症状だと思いますが、当時そんな言葉すら世には浸透しておらず。


そして、未だに鮮明に記憶しているのは、確か小学5,6年生辺りのころ。

三者面談。


話の経緯は忘れましたが、映像として記憶に焼き付くシーンがあります。


「お母さん、、○○君をどうにか、してください。」

先生はぐずぐずな声で、涙をこぼしながら母にそう伝えました。



自分が、普通じゃないんだ。と自覚したのはこの頃辺りかも知れません。

この話があってか、前後しているか、そこは曖昧ですが。


ある日の夜、私は両親の前で正座をしながら、怒号を浴びていました。


「お前は普通のことが、普通に出来ない。普通じゃない。」

「お前は他の人が普通に出来ることが出来ないのだから、特別学級に入れ。」


この言葉は、今でも忘れられません。

私は必至に首を横に振りました。


「やります。出来ます。」

「出来ないから、今までずっとこうだったんだろ」


この繰り替えしを何時間も続けました。


中学生


中学生になった私は異様な攻撃性はすっかりと抜け落ち、

派手なことはしないが、相変わらず大人を少々舐めた態度と、

物忘れや集中力のなさに先生や両親を悩ませました。


今でも不思議に思うのは、中学生未満の頃の自分が、何故異様な攻撃性を持っていたのか。

自分でも思い出せないのです。

まるで別の人格だったかのような、他人事のように記憶しています。



そういう意味では、中学生にもなると心は落ち着いていました。

同時に、自分が普通のことをこなせないという自覚がどんどん強くなる日々でした。


とにかく物はよく忘れ、よく叱られ。

その度どうして自分は普通のことが出来ないのだろうと、自身を責めました。

でも、分からないのです。本当に、どんなに気を付けても、いつの間にか他のことに気を取られて忘れてしまう。


これが繰り返されると、段々叱られる度に自分でもわからないのに、どうすればいいかなんてわからない。

となって、開き直り。悪化していくのです。


それでも、「お前は普通のことが、普通に出来ない。普通じゃない。」というあの日の言葉が

普通になれ、お前は普通のことが出来るはずだと。暗示をかけ、頑張ろうという気持ちにさせました。



私の中で、唯一の楽しみは当時所属していたに美術部でした。

とはいえ、やることは落書きばかりで、ろくに作品も作らず、俗にいう中二病にもかかり。

かと思うと、突然何かを各々作り出したり。


決して真面目に美術を学んだとは言えませんが、当時の友人らはいまだに私の大切な仲間であり。

理解者であると思います。


思えば、この頃に書いていた落書きや、最後の最後で描いた未完成のままの作品。

これらは今の私の片鱗だったのかもしれません。


高校生


人生で初めて本気を出したではないかというほど勉強した。高校受験。

もちろん、普通がこなせない私は、普通を目指して死ぬほど勉強しました。



普通の高校に入ったものの、普通未満の私はさらに必死になる必要がありました。

当時、私が唯一ずっと続けていたスポーツがあって。

両親の後押しや、友人との出会いがあって。私は運動部に初めて入りました。


一言に青春を謳歌したと思います。

しかし、ここにきて私の攻撃性というか、負けず嫌いがこの青春を壊しました。


いままで競技としてやったことのなかった私は、

顧問の指導もあってめきめきと成績を上げ、部員の中でも1,2位の実力になり。

天狗になりました。


普通未満だった自分が、初めて普通の、それ以上の存在になれたと。

うれしくて、両親も喜んでくれて。先輩や顧問もほめてくれて。


それをよく思わない仲間がいて。



ある日それは爆発して、一通のメールにみんなの不満がぎっしりと詰まっていました。

憶測の、あることないことまで。


色んな経緯を経てついに仲間内で完全にハブられた私は。

「努力もしないで僻んでる奴に何を言われても、俺は結果を出している。だから謝らない。間違ってない。」


そうあしらった裏で。

今まで感じたことのないほどの怒りと、悲しみを感じました。

包丁を手に取って、今すぐ学校に行ってやろうか。と考えるほど、私のプライドはズタズタでした。

お前らに何がわかるんだ。


朝も練習して、夕方もみんなより少しでも長く練習して。

先輩らとコミュニケーションをとって。そして掴み取ったんだと。


私の異常な状態に気づいた母は、絶対に許さなかったズル休みを、初めて、許してくれました。



私は部活をやめました。





お母さん、お父さん。ごめんね。

やっぱり自分は誇らしい子供にはなれない。

そう思うと、毎日がつらく苦しい日々になりました。



私は、誰かが望む私であろうとする努力をいつの間にか当たり前のようにし始めていました。

廃人と化した私に夏休みが来て、そこではある出会いがあって。


今は割愛しますが、ここで私は少し、自分を立ちなおすことに成功して。

ギリギリ、グレる前でした。


暑い夏を終え、私はひとつ夢が出来ました。

部活はやめてしまったが、今度は教える側になりたい。



こうして、私は卒業後の進路をインストラクター系の専門学校に選びました。

私は、これが、これこそが自分の道で、夢だ!!!


そう、思い込んでいました。



そのあと



普通を目指して、目指して。

そしたら普通以上のことが見えて来て、これをこなしたら、私は認めてもらえる。

喜んでもらえる。誇らしい子供になれる。


どこかに、こんな思いを抱えていたはずで。

普通を目指すということがナチュラルになればなるほど、私はストイックさを増して。

また尖って。


この続きは、また後日書こうと思います。




ぐだぐだと自分語りのお付き合い、ありがとうございました。



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