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  • 無明 長夜

私のアート



いわゆる抽象画や何かには、基本的に細かい説明書きはない。

(私の知る限り)


最近よく見かけるのは、様々なベタ塗りをした後に筆でピッと散らしたような作品とか

正直この手の作品に対して、私は「私にも出来る」という気持ちが湧いてしまって。



素直に、その作品達に何を感じてあげればいいのか。私は迷ってしまう。

うんメートルの巨大なキャンパスに描かれていたとしても、やはり迷う。


何を感じていいのか。それを考えさせるのがアートの醍醐味かも知れない。



私が考えるに、人は自分には表現できないもの、実現不可であるものやなんかに対して感動したりする。

だとしたら、この手の抽象画はやはり「私にも出来る」から何かを感じることが出来ないのだろうと。


実際、自分で描いてみた事もありますが、出来上がったものに何も感じられず。

タイトルをしっかり考えてみたりもしてみたんですが。やはり変わりませんでした。



しかし、この場合はこんな絵を描きたい。と思って描いた訳ではないので。

抽象画をやる方はもしかしたら先に何か伝えたいメッセージや意味があって描き始めるのかも知れません。



そうだとしても、私にはやっぱり良さが分からなかったのです。

中傷するつもりはなく、シンプルに自分とは合わないものだと感じました。



何の話?ってなると思いますが、では私のアートは何だろうと。




無明長夜のアートとは



私はどんなのを表現しているかというと。

書く場所や言い方がその時々で変わりますが。


一貫したコンセプトとして「夜」と「ネガティブ」にあります。


このコンセプトは、単に作品の土台となる部分であって。

ものによってニュアンスが異なることはあると思いますが、無明長夜と言えば、という代名詞替わりに使うキーワードとしています。


つまりアッパー系か、ダウナー系かと言われればダウナー系なのです。(わかりにくいですかね)



私が「作品」とするものに対して、コンセプトとしているわけではなく、ルールとしてが大切にしているのは「タイトル」と「説明(キャプション)」

現代アートに感じるのは、私が前段で書いた「何を感じていいかわからない」ものが溢れています。

圧倒的な画力や、言葉のいらない強いメッセージ性のある作品などを除いて、こういったものが増えている傾向にあると感じます。


まるで理解されないものを作る事がどうこうというより。

私は自分の作品に込めた思いをなるべく私の言葉で伝えたいのです。



アートで生きて行こうとする限り、誰かに評価される必要があって。

評価をされるためには、理解される必要があって。


私の今持つ技術では、「無題」というタイトルの一行で評価させるほど飛びぬけたものはないからです。

仮に、私に圧倒的な画力や表現力がこの先培われようとも、このスタイルは変える気がありませんが。



私のようなダウナー系の作品が解釈を放り投げてしまったら、それは「病んでる」とか「中二病」で済まされてしまいかねない。

勿論、中身を知ろうとする気の無い人には上辺を舐めて同じ感想を言われるでしょう。


そうだとしても、私の作品に足を止めて理解しようとした人には

なるべく私が何をその作品で言いたかったかというのを、私の言葉で伝えたいのです。



極論を言えば、私のアートとは「言葉」であり、タイトルやキャプションが本体なのかも知れません。


その辺で拾った石に、「月の石」と名付ければ博物館にだって並びます。

それくらい、言葉っていうのは大切だと思うのです。



そういえば、10月の個展までもう2か月程度となりました。

今回の作品こそ、「言葉」が主役となるものです。


なので、気持ち悪いくらいキャプションボードに思いを書いてやろうかなと、考えております。

あーあのキャプションにスゴイ書く人ね。なんて噂される日が来るかも知れません。

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