• 無明 長夜

3月の長い夜

この孤独な企画を開始してもう一ヶ月が過ぎた。 長い夜は明けてしまえば案外そんなこともない。 私がでかい絵画の裏でひっそりやっている様なコンセプチュアルアーティストという長い夜も、明けたらこう思うのだろうか。 今夜は n月の長い夜 第一弾についてをまとめてみようと思う。 このまとめでは、主観的な言葉でなるべく書こうと思うので、見る人によっては多少不快かも知れない。 それを踏まえた上で、興味があれば読み進めてほしい。


■お題「リツイート」 リツイートとは、Twitterというツールの中での用語だと認識している。 ツイートを改めて、再び行うから、 Re: という認識だ。 3月は、これについて考えることにした。 ■何故このお題なのか 前から、思っていたことを素直に書く。 人は何故自分が応援しているものを拡散しないのか。してくれないのか。 私の作るものが好きならば、その好きは誰かに共有し、共感を得ても良いものではないだろうか。 私の発信は、そんなに後ろめたい内容なんだろうか。 だから考えてみることにした。 する人、しない人。して欲しい人、して欲しくない人。 意図があったり、なかったり。無いようで無意識的にあったりする人達のことを。


■まとめてみる ツイートとかを本当は切り貼りするとそれっぽいのかも知れない。 そういうお洒落でスマートなことをする記事でもないのでそれはしない。 見たい人は、 #3月の長い夜 をTwitterで検索して欲しい。 まとめると言っても、これはもうほぼ感想的なものであり。 それぞれのツイートで語っている内容こそまとまっているとも思える。 それを踏まえ、今の心境で改めて考え見る。 リツイートを何でするんだろうか。 基本的に純粋なリツイートは好意的と思える。 引用と違い、そのまま人のツイートを自分のTLに流すので いい話系ツイートやネタもの、イラストや写真。これらは自分の言葉がいらない。 理解、共感しやすい内容は言葉を必要としない。 つまり争いも生まれにくいし、自分のリツイートが更に評価されるのはまるで自分の事のように気持ちのいい錯覚をするかもしれない。 乗っかるというと言葉は悪いが、考えずにリツイートを出来る人はそんな意識は生まれない。 実は最も楽しくTwitterを利用出来ている層かも知れない。 強いて言うなら、リツイートだらけのアカウントは嫌われるイメージだ。 他人の好きを永遠視界に入れられるのだから、共感しないものもあるだろうし、またこれか。ともなるでしょう。 だが、さっきも書いたように、リツイートモンスターたちはそんな人の思いなど知る由もないのでしょう。 では積極的にはしない人はどうだろう。 最初に思うのは、このほぼ自分の発言や意志のない、言葉を極端にするなら虎の威を借りる狐のようにもとらえられる事を恐れているのか。 そこまでではなくとも、人に自分の好きなものがちょっと変わってるのとか、知られたら恥ずかしいな~とか。あるんだろうか。 例えば、すごく好きな作家が、自分の活動以外のツイートで、大好きなアイドルのツイートだけは必ずリツイートする人だったとしよう。 この人を不快に思う人は、同時に自分もそうみられていないか。見られるんじゃないか。という不安を抱くのかも知れない。 いつもいい写真をあげるフォロワーさんがいる。毎回リツイートしたいくらい素敵だが、本人にも自分のフォロワーにも気持ち悪がられないか心配だ。 とか。 逆に、何も考えずにリツイートをしない。という人は少数派か、ほぼいないと思う。 皆どこかで瞬間的に判断している。これはする、しない。 DMやLINEのように誰が既読したかなんてのはわからない。 つまり自分は見たけど見てないよ。ということが出来る。 リツイートを躊躇する理由は様々だが。その理由が漠然とわからないが、なんとなくしたくない。 だから、見てないよ。ということにすることが出来る。 しなければいけないものではないから、この反応を責めることはできないし、することもない。 引用リツイートというものがある。 これは主にリプライに近い感覚だが、さらには自分のフォロワーに自分の言葉に意見や共感を得ることが出来る。 また、リプライと異なり対個人への発言というより、昨日みた番組にクラスメイト、同僚が出ていたんだ。 というような話を本人がいるかも知れない空間で話すような感じだろうか。 これは私が嫌いな言葉で言うならワンチャン(one chance)ある。を狙っていることもあると思う。 後は、本人に直接褒めちぎったり。否定的な言葉を浴びせる事無く、遠回しに伝える手段でもある。 最近ではリツイートをしたのち、>RT とか、書いて空リプに近いことをする人もいる。 私もやってみて思うが、これは書きやすい。 本人に知られる可能性は限りなく低く、だが0ではない。 ネガティブな意図で使用するならばリスク排除がしっかり出来ていない行為だと思うが、 好意的だが恥ずかしさがあるときなんかは可愛げがある行為かもしれない。 色々考えた結果。リツイートについて元々ネガティブなイメージが強いので、どうもよくない言葉がつらつらと出てくる。 なのでこれを最後に書いてまとめは閉じようと思う。 少し前、とある投票を作成して意見を求めた。 求めた意見の内容は、今回の企画とは別に個人的な興味で書いたので明言はしない。 ここにはあえて何のタグもつけず、時間帯も微妙だったと記憶している。 ツイートから私が眠りにつくまでに入った票は2件ほど。 募集の期間は約3日間で。2度ほど自分でリツイートした。 結果、トータルは5票だった。 インプレッションは私のフォロワー数を遥かに超えていたが、いいねは愚か、リツイートは自分以外にはなかった。 意見を求めた内容とは別に、考えるものがあった。 匿名である投票ならば、少しは反応が得られるか、面白いと思えば、該当する人でなくともリツイートをするのか。 結果は何も起こらなかった。 そもそも面白くなかったのかもしれないし、本当に気づきもしなかったかも知れない。 自分はそれに該当しないから、これは関われないな。と思われた可能性も大いにある。 結論、少しだけ寂しかった。 そんなくだらない感想が残った。 ■あとがき この企画は、一応私個人だけではなく、色んな人に考えてほしいなーという思いがあった。 途中、このみんなも気軽に考えてくれ。最悪考えなくてもいい、感じたまま煮るなり焼くなりしてくれと話を振った。 何名か、これに反応をくれた方がいた。 素直に嬉しい気持ちと、それぞれが、それぞれの個性ある言葉や表現で考えた結果を示していて。 私はこれがとても楽しかった。 なるほど、そう考えるのか!と この考えるという企画。 タグを見て、お!使おう。という時点で人は何かを刹那に考えていると思うので、そういう意味では何も考えてませんよ。 は、ないと私は思う。極論 その刹那に考えたことが、あるいは何分、何時間と考えたことが知れる機会だったということを。 今この場でひっそりとリツイートとする。 人は常に変わる生き物だ。 だから昨日言った言葉、さっき言った言葉がころりと変わることはある。 それを責める必要はない。 次に発言するまでに、その人の中で何かが変わっただけのことだ。 その時の自分と、今の自分の違いが何かをわかればそれなりに理由はあるし、理由を伝えることもできる。 すべては考えること。 3月の長い夜はこれにて

14回の閲覧
  • ツイッター - ホワイト丸