- 無明 長夜
4月の長い夜
さて、前回のブログからもう1ヶ月。
このコロナ禍とやらの中、私は幸いにも仕事に明け暮れています。
しかし、残念なことに5月の個展を中止することになってしまいました。
なってしまった。というより自粛した形ではありますが、この選択に迷いはありません。
ありませんが、人に作品を、肉眼で見てもらう機会がもうしばらく訪れないと思うと残念でなりません。
無色轟音の作品についてはオンラインで展示する意向を出していましたが、正直それすらも迷いの中にありますが。
まるで二重の夢でも見ているような。
そんな愚痴はさて置き。
今夜は n月の長い夜 第二弾についてをまとめてみようと思う。
前回同様。
このまとめでは、主観的な言葉でなるべく書こうと思うので、見る人によっては多少不快かも知れない。
それを踏まえた上で、興味があれば読み進めてほしい。
お題「嘘」
「嘘」とは、読んで字のごとく、あの嘘だ。
基本的には誰かを不快にさせるもの。
しかし我々は結構わがままなので、時々「嘘だと言ってくれ」なんてセリフを吐いたりする。
■何故このお題なのか
これはもう実にシンプルに。
「エイプリルフール」だったからと、自分自身嘘にまつわるエピソードが多くあるので、
少し書いてみようかな。なんて思いもありましたが、今回はシンプルにそんな理由。
それに、嘘は誰でも大なり小なり付いたことのあるものでしょうと。
だから考えてみることにしました。
■まとめてみる
前回同様、ツイートを貼るとおしゃれなことはしない。
見たい人は、 #4月の長い夜 をTwitterで検索して欲しい。
今回は途中から仕事というどうでもいいことに時間を酷く抉られてしまい、前回ほど考える時間を取れなかった。
取れなかったと言い切ってしまえばこれも嘘になる。
考える心の余裕がないことを、時間がなかった。というのは定義上は嘘なのではないかと。
今回、ツイートでは比較的自分語りをしてきた。
どれも嘘にまつわる話ではあるが、それが善なる行いか否か、そこについて私は考えていた。
善悪以前に、嘘そのものは基本的によくないものとされているので
いい嘘とかそもそもないはず。
しかし、嘘というのはトランプでいうジョーカーみたいなもので、有利にも不利にもさせるカードである。
誰にとって有利なものかが、このジョーカーというものは時と場合によって変わる。
わざとジョーカーを与え、敵意をこちらに向ける。
という少年漫画の実はいい人だった系を想像するとわかるかも知れない。
人は善悪の区別の中で、人情という評価点がある。
この評価点が加わることで何故だか嘘は時によいものとされる。
人を殺しても仕方がない事情だった。とか。結構我々人間はご都合主義であり。簡単に嘘を嘘でなくさせる。
嘘であった。という事実すら無効化してしまうほど,私たちは雑な生き物だ。
そんななか、相手を思って真実を自分の胸の内に潜ませ。
相手を思いやってつく嘘は、果たして救いなのだろうか。善なのだろうか。
相手を傷つけなかった自分をいい人だと思って気持ちよくなる行為なのかもしれない。
仮にそうだったとしても、そうでなくても。
真実を知らない相手には永遠本当の事は伝わらないのだから、嘘をつくというのも随分とリスキーなものである。
ここまでなんとなく思うままに、訂正せず書き進めていますが。
相変わらず私も何を言いたいのかは定まっていません。
ただ、今回考えているこの「嘘」というお題、考えれば考えるほど善悪が分からなくなる。
なんて曖昧な言葉なんだろうと思いまして。
この「嘘」の定義も実は嘘なのでは?という感覚にすらなる。
ビックマウスという言葉がある。
これも本来の意味とは違ういい意味で日本では耳にする。
これもメディアの匠な嘘で、結果我々にいい印象を与えたものである。
本来の意味については触れず。この嘘の言葉の解釈のまま考えると。
まだ実現していないものごとを先に言い放ち。逃げ道を自らなくして発破をかけるような行為。
これもまた独特で、皆嘘という前提だがこれを好意的に受け取る傾向がある。
何故なら既に事実になる期待値があるからで。
結果ならなかったとしても、評価ポイント次第では特段罰せられることもない。
恋人の嘘を許してしまったりする我々人間の曖昧さが生み出した嘘は。
生物が行う死んだふりなどの擬態と呼ぶ嘘とは性質が随分と異なる気がする。
同じ嘘でも、まるで違う。
おそらく我々人間にとって嘘の代償が、基本的に限りなく0に近いからこそだろうと思う。
生物が行う擬態は、生存するための戦略であり、相手を不快にしてやろうとか。
相手の気持ちを考えて行うものではない。
そして、我々はこの多様な嘘を見抜く力に個人差もあるし、限度もある。
例えば石ころが実は嘘をついていて、生命を宿しているとしよう。
誰もこれには気づいていないだけかも知れない。
だから我々は見抜けない嘘は嘘と判断が出来ない。
いよいよ何の話か自分でもわからなくなってきたので、この辺で妄想を垂れ流すのは終わりにしようと思う。
嘘は、非常に味の濃い、固いガムであった。
■あとがき
言い訳をもう一度書くと、本当に4月は絶望的だった。
仕事は忙しいし個展は中止にせざるを得ないし。
癇癪を起しそうな苛立ちは。なかったが。残念な気持ちが本当に色濃い。
この考える企画も、さして盛り上がることもなく、私自身すらあまり考えている時間がすくなかったせいで
まとめがいつも以上にまとまっていない。
思いつく言の葉を、行数稼ぎのようにつらつら並べたただの何か。
わざわざ読んでいただいた方が、無明長夜の頭の中を少し覗いた気持ちにでもなってくれたらいい。
私の思考はいつもこんな感じで、ころころと視点が変わって巡っている。
この企画を続けていけば。少しはまとめがうまくなるだろうか。
私のタグを知った人が、このタグでツイートするようになり。
この記事を読んだ人が、見かねてこれとは別にまとめ記事を書いてくれたり。
そんな風に伝染していったら面白いなと思う。
私はコンセプチュアルアーティストとして、非常に曖昧な問いを毎月どこかの誰かへ届けているつもりだ。
どう受け取るか、どう解釈するか。全部あなた次第。
答えが必ず一意である必要はない。
4月の長い夜はこれにて