• 無明 長夜

うまい話


欲深い私達人間は、日常の中で大なり小なりうまい話ってあると思います。

あるいは、知人友人からの「うまい話があった」という話を聞いたり。


私は猜疑心が強いせいか、どうにもこういう話に対して否定的です。



・うまい話には裏がある

・石橋を叩いて渡る

・急がば回れ



なんてことわざがいくつもあるように、先人達は色んな場面で生き急ぎ、選択を誤り

失敗を重ねて来たのでしょう。



しかし、人生は短い。

故に、もっとも輝く人生のゾーンに向けて最高速度で行きたい気持ちは誰しにもあって。


私もまた、遅咲きでアートという世界に足を踏み入れ

今までの時間を取り戻すように最高速度で私の輝ける場所へと向かいたい。向かっている最中です。




猜疑心

最初に書いたように、私は猜疑心が強い。

それは自分が無知であり、自分が思う以上に考えずに行動してしまう節があると自覚している故でもあります。


つまり、どちらかと言えば騙されやすい人間です。

この自覚はとても大切なことと私は考えています。


自分自身すら疑う客観性を持たないと、見落としって気づけないと思うのです。



「お前が信じた言葉の真意に気付けているか?」という問いかけを自問自答することは

クールダウンさせる意味でも重要だと、私は考えています。




うまい話には裏がある

何年か前、友人がバーで知り合った某ITベンチャーの社長さんに声をかけられた。


「ウチで働かないか」


友人は確かに頭の回る、コミュニケーション能力も高い人。

いわゆる仕事の出来るタイプ。


当時の彼はバイト先で一緒だった社員が独立する話の誘いを受けて、別の飲食店の社員として働いていた。

ほぼ無休、店内で寝泊まりも日常的な環境だった。



そんな最中にデスクワークへの転職のチャンスが舞い込んだ。

彼は二つ返事で転職した(確か)



しかし、せっかくのデスクワーク界への転職を果たすも、再び繰り返すデスマーチ。

ベンチャー企業特有の狭い世界感。


飲食業時代に肥えた体はストレスでやつれていった。



結果、彼はその会社を辞めた。

彼にとって、二度の美味しい話があって、それに乗った結果はどちらも同じだった。


結局、今は自力で就職活動をして、そこに勤めている。

当時の経験にメリットがあったかと聞くと、過ぎた事は度外視したように「経験にはなった」と言っていた。



彼は明確に人生の輝ける場所を目指していたわけではなく、今を生きるタイプだった。

だから過去の事は面白い話で今はもういいのだろう。




では、これが何かを夢見て目指す人だったら。どうなんだろうか。


雇用というのは、経営者が会社へのメリットを考えて行う事。

つまり、「雇われてみないか?」というのは本当にうまい話なんだろうか?


アーティストを目指すものならば。

この言葉が、「金は出す。好きな事をやれ。」こそ、真にうまい話なのではないだろうか。

雇われるというのは、雇い主のために時間を消費してその対価を得るものだ。


夢を追うというのはリスクが伴う。

芽が出るかもわからないことを、必死にやり続けなければいけないし

グラグラといしてる所に差し伸べられる手は救いの手にも見えるだろう。


しかしその手を取ったら契約成立の握手かも知れないことを理解する必要がある。

雇われるということの安定感、安心感は、同時に思考を停止させる。



自力で何かを生み出す必要がないからだ。

与えられる仕事を、効率よくこなす事に満足してしまうからだ。



話がまとまらない


極端なことを色々書きましたが、何もじゃあ誰も信じるな一人でどうにかしろ。

ではなくて、うまい話が100%自分の目的への最短なんて訳ないと考えないといけないんですよと。

限りなく近くとも、そもそも路線が違う。


うまい話を持ち掛ける人がいたとしたら、その人の背景にもうまい話を持ち掛けた人がきっといます。

これは利害関係であり、ファンとかパトロンとは異なると認識しないといけないんです。



雇われながら夢に向かうというのは、私自身もやっていて感じますが。

非常に苦しい物があります。


一度手にした安定を投げ捨てて裸一貫でアートの世界に飛び込む勇気は私にはもうないのです。

頭も体も一つである以上、雇われている時間は少なくとも目の前の業務に追われます。


業務後に残る時間はもはや日常生活をこなす時間程度しか残されないとして。

果たして効率やいかにです。


効率が悪くとも私はこのスタイルでやっていく事を選びました。

その分、安定に身をゆだねて沈まないよう、意識を強く持つ必要があります。


裸一貫で夢に飛び込んだ人たちもきっと、いつ終えるかわからない綱渡りをしているのでしょう。

気を緩めた瞬間が、あらゆる意味で死を意味すると理解している人ほど、必死に自分の頬を打つでしょう。




じゃあ、夢に近い所で働きながらなら一石二鳥じゃないか!

という人もいるでしょう。



ライブハウス、ギャラリーなど。確かにチャンスもあるかもしれません。

経験も、普通にサラリーマンや何かをするより得られるでしょう。

だけど私はこれだけはしたくないのです。


・井の中の蛙大海を知らず


という言葉がここには当てはまるでしょう。



最終的な目的が儲けならばそれでもいい気がします。

でも、表現者として、これになってしまうなら本当に残念なことで。


結局は自分が見ている夢が、目指している未来の自身が。

どんな姿か見えているかが大切なことだと思います。



この話は結構前から考えていたのですが、なかなかきれいに書きたいことが的確に書けないですね。


誤解を招く部分もあるかもしれませんが。

正解は各々あるので、最終的になりたい自分になった人が初めて自分は間違いではなかったぞと証明できるのでしょう。

私は私の正解論がこれであると考えているだけなので、誰かに押し付ける気持ちはありません。あしからず。



とっ散らかってしまいましたが、今回はこの辺にて。


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