• 無明 長夜

問いかけ


夢を追う。 と、 夢を見る。 って

何が違うのだろう。と



ふと考えました。



そりゃ、見てるだけと追っかけてるという差だろうと思うんですが。

遠くに見えてる星を追いかけるのと、見つめているのでは。実は距離は縮まっていなくて。


それでも、走って追いかける姿は傍から見てかっこいいし、輝いて見えて。

でも、本当は一緒なのかも知れないなって。今思いました。



勿論、追うっていう手段は色々あって、今のは本当に、頭に浮かんだ妄想見たいなお話です。



負け

とあるブログで、こんなことが書かれていて。


"夢を追うことが過剰に美化されると、夢を諦めることが「敗北」として認知されてしまいかねない"


色々考えさせられました。



続けて、そのブログにはこんなことも


"上手くいかないからと投げ出したり、他にやりたいことができたからと自分の力の注ぐことを途中で変更すると、

「忍耐の無い奴」「信念の弱い奴」「負け犬」という烙印を他人に押されるか、

他人に押されなくても勝手に自分で自分に押してしまったりします。"


ああ、これは自分も思っているな、人にその烙印を押している。自分自身にはより強く。


ただ、諦めるというのと変わるというのはニュアンスが異なるとは思うのです。

諦める。というのは完全にそれを追わないこと。と私は認識しています。


そこに至るまでに得たものを全部捨てて。0になることだと。



大して、変わる。というのは自身と向き合う中で見つけられる別の方向性。

これは必要だと思います。

人も年をとるし、ファッションも食事も流行がある。アートにも当然。


変化とは進化とも取れるし、表現の世界なんて感情の起伏で作品も変わるのです。



このブログの方が、どっちの意図で書いたか、私は後者として受け取りますが。

素直に読むと諦めても負けじゃない。とも取れてしまう。


私はどうしても、諦めるという事は負けであると意識してしまうので、これからもこの思いは重しになるのでしょう。

どうにもならないことだって。あるのになあ。と、ちょっと自分の頑固さに呆れます。



プロセスは大切

大半の人は、例えば5歳の頃は「スポーツ選手になりたい」と言っていて

18歳くらいには「サッカー選手になりたい」とか。絞られて行く。


その後、「サッカー選手」を目指すと言っていたのに「サッカーコーチ」をやってるとか。

そういう人達は果たして負けかと言われれば、自分のパフォーマンスが最大限生きるフィールドに路線を変更しただけであって。

これを負けと言ってしまうのは確かに意地悪な言葉だと感じます。



前回書いたブログの時にも、夢を追うことについて書いていたが気付けていなかった。

というか忘れていたのかも知れない。


↓過去記事はこちら
















「サッカー選手」を目指すと言っていたのに「サッカーコーチ」をしている人を再び使うと。

「サッカー選手」を目指していた間にした努力や勉強は「サッカーコーチ」になった時にとても生かされていて。

ただ、「サッカーコーチ」がサッカーを齧っていた人がぽっと出でやることも可能だと仮定すると。


「サッカーコーチ」に行きつくまでのプロセスは、なった後に大きな差を生む。

ゲームなんかでも、特定の職業をある程度やると出現する新たな職業とか、他の職業で鍛えた能力値が影響するとか。

そんなところだろうかと。



そこに、生まれ持ってのセンスという。

人によってはチート並みともとれるスパイスが加わってその人の総合力が決まる。



ここではそんなチートの話はさておき、現実的な視点で考えますが。

そうするとやっぱりプロセスは大切ですね。


ただ「やってきた」から良い。ではなくて「やってきた」事から今に生かせる事を引き出せる事が重要なのでしょう。

自己啓発的にいうなれば「引き出しの多さ」が、武器になるということです。





私が思う。夢を追うというのは。



夢という大きな川があって。

そこに飛び込んで行くと、強い流れがあって。


それは後ろから押し寄せても来るし、途中に大きな岩や大木も流れてくる濁流の様で。

止まることはすなわち死。



ただ、天気が変わるように流れの強弱も時折変わる。

穏やかに流れる川の分かれ道もあるでしょう。


そういう選択は何度も訪れて、後ろを振り返れど体は前へ前へ。



と、決して川の中で止まることを許さない思いでした。

このままだと、選択肢が増えた時に考える余裕がなくて。



だから今回思ったのは、時には岸に上がり、流れの行く末を観察して考える事も必要ということ。

流れの中で踏ん張ることは出来ないが、岸に上がって流れを読むも良し、別の流れを求めて行くも良し。

ただし、地上も平坦ではないので、絶景にたどり着こうとすれば険しい山もあるでしょうと。




終い

この記事は、実は書いたのは3か月ほど前です。

温めていたわけではなく、当時の自分はなんとなく途中で書くのをやめていました。


だから何って話なんですが、今じゃないなと閉まっておいた言葉っていつ蔵出しするべきか悩んで、

たまたま今日、下書きに眠っていたこの記事を見つけました。


よく、こういう話がしたいな。となっても今はまだかな。ってなってしまいませんか?


毎度のことながら、オチらしいオチもなく今日はここまで。


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