• 無明 長夜

誰かへ


いつものように、色々と考え込んでいたら、たまにはちゃんと書こうかなとブログを開きました。



私はものすごく物忘れが多いんですが、妙なところでは記憶力がものすごく高くて(自称)

人との会話や自分の発言について振り返ったりしています。


あの時、こう言っていたらどうなったんだろうか。

という自問が日々増えていきます。



今回は明確に誰宛でもないんですが、私と関わったことのある誰かへ、今思う事をつらつら書こうと思います。




やめてしまえばいい。‬

‪は結構簡単に言えてしまう言葉であり‬

‪同時に簡単に人の人生も変えてしまう‬


かと言って、


‪頑張れ。‬

‪なんて言おうものなら、なんでどうして何を頑張れば良いのか分からない人は壊れてしまう。‬


どちらも言ったことのある言葉で。

私は今日も、あの日この日のこの言葉がどうだったら良かったのかを考えている。



これは最善のルートが何だったか。の問いでもあり

単純な可能性として、どうなったかの興味から出る問いでもある。


前者の問いの方が圧倒的に多いのは言うまでもなく。

私の言葉は、結構人の人生に干渉してしまっているのだと実感する。



感謝されることもあれば、どちらともいえない感じのこともある。

これ等の経験が、少しずつ私の中で蓄積されてきて、何か新たに感じるものがある。



人を勝手に理解するな。



これは私自身が、時々人に思うこと。

しかし、これは今まで私が勝手に相手を理解して放った言葉に対して思われていた言葉だったかもしれない。


その人が望んでいそうな言葉を先読みして、それっぽいことを言うのは良いことだろうか。

正しいだろうか。



あの時、するべきは私が理解することではなく

相手自身が、自分を理解できなくて悩んでいることに一緒に向き合うべきだったのかもしれない。

向き合うというか、本人が本人を理解することを助力できれば良かったのかもと。


少なくとも、これからの私はそうでありたい。




私は少ないが自慢の友人がいる。

それは昔からの友人や、飲み屋で知り合った友人。

どこかで店を持っていた友人や、一回り半くらい年上の元同級生だったり、会社を経営していたり。


それぞれが強烈な個性を持ち、それぞれが嫉妬するような才能を持っている。

私は彼らがもし何か叶えたい夢があるというなら、きっとなんでも協力するだろう。


だからこそ、勝手な期待を私は寄せてしまうときもある。

1ミリでもやりたいのならそれをすぐさま話を広げて実現に向かう方向に話したいし、それはすごく面白いことだ。

勝手に期待して、勝手に理解してしまう。


これは誰のためでもなく、私がそうしたいから。

本気じゃないなら適当なことを言わないでくれ。と言ってしまうくらい。

そういう部分は全く深く考えずに信じてしまうのは、少年のようなピュアさではなく。


そうであってほしいという私の願望の押し付けに過ぎない。



いつもどこかで言っている言葉かも知れないが。

押し付けるのではなく、ならば見せつけていきたい。


私は無明長夜という活動を始めて2年が経つ。



まだ立っているぞ。



まだやめてないぞ。



インスタやめたから、もう無明長夜やめたの?

いいややめてない。ちゃんと探して見てくれ。私はちゃんといる。


あんたらの背中を追って肩を掴むことはもうしない。

私は来年も再来年も立っているし、それがたとえ無明長夜という名でなくとも必ずでかくなる。


興味がないなら持たせるまでだ。

私を追って、肩を掴んでくれ。



とか、熱いことを書いてみたりします。

大したことはまだ何もしてないんですが、正直いつも孤独を感じます。


願望を押し付けるのも、背中を追わせてやるというのも。

本当は誰か並んでくれないかと思っているのでしょう。


私は私の熱量が誰よりも多く、高い温度なのを自覚しています。

だから、横に並ぼうものなら皆燃え尽きてしまうというのもなんとなくわかっていて。

強者の闇的なそんなかっこいいもんではなく、ただの効率が悪い不器用なんです。



きっとあと10年、無明長夜を続けていても私は不器用です。

けど、まだ10年先まで無明長夜を続ける気合だけはあるので、火種くらいならいくらでも撒きます。




そこの誰かさん、なんだっていい。楽しいことをしましょう。

私はいつでも本気です。



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