• 無明 長夜

理解



そういえば先日ロールシャッハテストをやりまして。

そこで自分の興味というか、私自身の表現の先に見てるものが少し見えたので、そういうのを書きます。


今回利用したサイトはこちら

https://jp.rorschach-inkblot-test.com/


海外のもので、日本語訳がちょいちょいあれですが、読み取れないものではないのでご安心を。

そして10問程度で終わるのでサクッとできます。



残念ながら、当時の結果をコピペしていないので、私の結果について全文を載せることができないのですが。

冒頭に書いた通り、すごくしっくりきた言葉がありました。



あなたは人がどう思うか、どう考えるかという点に強い関心があります」



こんな文章だったはず。

ストンと落ちる感じはこれか。と


何故人の思うことやどう考えるかに関心があるか、という点は強い心当たりはありますが。

楽しい話ではないのでここでは割愛します。



私はこれまで、自分を代表する言葉やキーワードにずっと語呂の悪さというか、

語彙力のないあまり本来使いたいこととは異なると思っていました。


ネガティブなもの。皮肉ったもの。暗いもの。夜が舞台で表現してる。

媒体は何でも。

それぞれが間違いではないのですが。うーーん。


それを何故そうやって表現としたか。というのが自分でも湧き上がる何かであるとしか認識出来ていなかったのです。

抽象画はあまり得意ではない。といいつつ、

自分の表現に対して非常に抽象的な言葉でしか説明できないことに気持ちの悪さを感じていました。



それが今回のロールシャッハテストで、こうも簡単にああ私は

"人の感情の起こりを見たい" のか。と理解したのです。



デュシャン

漠然と、デュシャンの泉は好きだなと感じていたのですが。

その理由も今回同時にしっくりときたのです。















Photo credit: filosofianetdadaismo via VisualHunt.com / CC BY



以下はとある記事からの抜粋ですが、


"デュシャンは、クールベ以降の絵画は「網膜的になった」と批判している。

網膜的絵画とは、簡単にいえば「目の快楽だけで描かれている」美術のことである。デュシャンにとっては、

目から快楽を得られる美術だけが美術ではない。

デュシャンにとっての美術とは思考を楽しむ手段なのである。"


なんて書いてありまして。

ああ、私にとっても「美術とは思考を楽しむ手段」なのかもしれないと。



かといって、視覚的な美術を徹底的に拒んでいるわけではなく、

言葉にできないが感銘を受ける程綺麗な何か。というものは存在するし存在していいものだと思います。


ただ、私が知る限りは近代に見る抽象画にそこまで強く惹かれると感じるものに出会えず。

また、自分がそれをやろうとしたとき、どうコンセプトを添えてやれば見る人に意図した思考を凝らしてもらうことができるのか。

やはりわからないのです。



私を形容する言葉


芸術に興味関心が深い方、はもうなんとなく、あるいは最初から分かっていたことかと思いますが。

恥ずかしながら私は私自身を最近理解し始めています。


それは無明長夜という、私であり私でないものを生み出すことでアートをやる自分自身を客観的に見ることでようやく見えてきました。

コンセプチュアルアートという言葉が、私が持つアートです。



ああやっとすっきりした。


コンセプチュアルアーティスト 無明長夜



って長いですね。あと、胡散臭さがより増してる。



本日のお写真

11月末頃、天気は雨。新宿某公園にて。


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